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結婚記念日

2007.10.30(Tue)

『夫婦の絆』 Comment(0)Trackback(0)
 今日は私たち夫婦の24回目の結婚記念日だ。思い起こせば1983年10月30日、私は念願の女性と結婚できた。式を挙げたのは、私の出身地である波佐見の、山のふもとの小さな教会だった。今思い起こせば、当時の私ははっきり言って、お世辞にもクリスチャンと呼べるような人間ではなかった。しかし、妻を愛する事については一途だったと思う。何せ2年もの間、私はじっと彼女の帰国を待ったのである。普通、映画などでは男が旅に出て、女性がせつない思いで待つという構図が一般的だ。しかし、私たちは全く逆の立場だった。当初、1年の約束で彼女の渡米に同意した。もっとも反対したところで止めさせる事は出来なかっただろう。辛かったのは、やっと1年が過ぎた時、胸躍る想いが一瞬にして弾け散るような事態が起こった事だ。彼女が、「あと1年待って欲しい。」と言い出したのだ。許すも許さないも、本人が帰りたくないのだから、どうする事も出来ない立場であった。あれから、時は流れに流れて二十数余年、二人の子どもにも恵まれた。色んな事が有ったが、おいおい書かせて頂くとして、今、私はこの妻に助けられつつ(本当はイエス様に助けられいる)、牧師として立たせて貰っている。恥ずかしながら今でも、当時とさほど変わらないくらい妻を・・・しているのには自分でも感心する。実に主は、良き助け手を備えて下さったと感謝している。これからの人生、主のご計画の中を、(妻はどう考えているのか確認した訳ではないが)二人で共に歩みたいと願っている。(E)
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夫の趣味

2007.10.23(Tue)

『家庭生活』 Comment(0)Trackback(0)
 夫の趣味の一つに「果物の皮むき」がある。りんご、柿、梨などの皮は必ず丸くむいて、細長い帯のようにするのが好きらしい。はっさくや夏みかんなどは薄皮(?)をむいて一粒一粒お皿の上に花びらのようにきれいに並べる。全部並べ終えるまでは、私たち家族が手を出して一つつまもうとすると、「まだっ!」と言って食べさせてくれない。
 さっき夫がりんごをむいてくれた。私と娘は夫の顔を窺いながらそーっと手を出して、お皿に置かれるりんごを片っ端から食べた。
 いつもなら、むき終えるまでは食べさせてくれないのに、今日は「まだっ!」の声がなかったなぁ・・・。どうしたのかなぁ・・・。とちょっと心配になった。でもりんごは美味しかった!いつも果物むいてくれてありがと!(M)

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今日から冬が始まった

2007.10.20(Sat)

『季節』 Comment(0)Trackback(0)
 ついこの間まで「いつまでも暑いですねぇ~っ!」と言うのが挨拶になっていたが、今日は車のエアコンを冷房から暖房に切り替えた。足先が、ほのかに暖まって心地よかった。もう季節は「食欲の秋」、晩秋であり、初冬である。以前、「今日の昼3時から春ですもんね!」と庭先の木々を眺めながら、嬉しそうに私に語るご老人がいた。人間、年を取ったら季節の変わり目をはっきり感じるようになるのか?と羨ましく思った事があった。いよいよ、この自分もその領域へ入って行くのかと思った。天も地も宇宙もすべて神が創造され、神の摂理に従って移り変わっている。主の知恵は計り知れない。(E)

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中高年の隣人

2007.10.18(Thu)

『社会生活』 Comment(0)Trackback(0)
私はこの3月以来、メタボリック症候群と戦っている。適度な運動をやっているし、大好きだったジュースやお菓子は殆ど食べない。甘い物や脂っこい物にも注意している。そこで、気に入っているのが「めかぶ」だ。カロリーは無いし、ビタミン豊富で繊維もたっぷり含有している。1パックの容量が150gで通常128円はする。ただ最近、あるスーパーで木曜日は「99円セール」なるイベントをやっている事を知った。仕事帰りに寄ってみた。なるほど、いつもはたくさん並んでいるのに今日は10個ぐらいしか残っていない。私はまだ意中の「めかぶ」が残されていた事を主に感謝した。私は思い切って10個全部をカゴに入れようとした。すると突然、誰かが「止めなさい!」と耳元で囁いたような気がした。私は「あなたはそれらを残しておかなければならない。」という御ことば(レビ記19:10)が心に浮かんだ。そうだった。これを世では「買い占め」と言う。そして、聖書的には「むさぼり」と言って、神が喜ばれない行為である。主への信頼が薄いと、つい溜め込みたくなるのが人の性質だ。この「めかぶ」を必要としている私の隣人の為に、私は”後ろ髪を引かれる思い”で5個戻した。帰る途中で私の心はさわやかな喜びに変わっていた。感謝します。(E)

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回想!月光仮面は中高年(Ⅰ)

2007.10.16(Tue)

『グッドタイミング』 Comment(0)Trackback(0)
つい、一月ほど前の事だった。パートの仕事で或るお客様の家を訪問しなければならなかったので、古い地図(20年前)を頼りに事務所を出た。以前何度か行った事があり、全く知らない町ではなかったので、地図上で「おそらくこの当たりだ」と思われる地点に行こうとした。ところが、新しい広い道路が通り、新しい団地や町並みが出来ていて、私の過去の経験や知識は役に立たない事が判った。私は頼りにするべき対象を間違った。ここまで来て「家が判りませんでした。」では会社に帰れないし、また最近は個人情報保護法で、下手に民家に尋ねて回る訳にも行かないから、やりにくくなったものだ。私は万策尽き果て、途方にくれた。私は「ああっ!神様、何とかして下さぁ~い!」と言う、叫びのような祈りを主に向けた。そしたら、そしたら何と、赤いバイクに乗った一人の、見るからに老獪なオジサン(おそらく定年直前)がやって来たではないか。私は個人情報も何も忘れて尋ねてしまった。「すいませ~ん!この辺で〇〇町の〇〇番地ってどの辺でしょか?」・・・おじさんは「名前は何と・・・?」と聞き返してくれた。すかさず「〇〇さんなんですが?」と答えた。そしたら、さすが餅は餅屋である。「ああ!その人ならあの学校の前に最近できたアパートの2階に居らすばい。」と、期待通りの答えが返って来た。そこは現在位置からかなり離れた地点だった。「どうも有難う御座いました。助かりました」とお礼を言う間におじさんはエンジンを吹かして立ち去った。まるで”疾風(はやて)のように現れて疾風のように去って行く”子供の頃好きだった月光仮面のようだった。私は元来疑い深く、霊的にも鋭くない方だ。しかし、この時ばかりは鳥肌が立つ様な”主の御手”を感じた。まさしく”主のなさる事は時にかなって美しい”そのものの体験だった。私は感謝した。
追記:ほどなく目的地に辿り着けた事は言うまでも無い。(E)

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油断は禁物”メタボリック”

2007.10.15(Mon)

『健康』 Comment(0)Trackback(0)
私の今年3月の体重は74キロ、血糖値が高いと診断されて、必死に食事改善に取り組んだ。適度な運動(早足歩行)もやった。甲斐あって7月には62キロに減量できた。主の憐れみだった。血糖値もヘモグロビンA1cも標準値に下がった。8月には会社の健康診断も受けて、尿検査、血液検査とも異常なしだった。安心した。そして、この10月は3日の誕生日ケーキあたりから、少し心が緩んでしまったと回想する。これくらいは影響なかろうという油断が重なって、体重が4キロ増えた。長期間かけて減量したのに、戻るのはあっと言う間だ。さあ、明日からまた気持ちを締め直して再挑戦だ。自分を律するのは、何と難しい事かと今更ながら我が弱さを認めざるを得なかった。(E)

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中高年のみだしなみ

2007.10.13(Sat)

『男の美学』 Comment(0)Trackback(0)
 私は大学生の頃から頭にドライヤーを当てて来た。最近は前頭部が寂しくなって来たので、可能な限り周囲から寄せて集めて引っ張って、目立たない様に、カモフラージュしているつもりだ。しかし、持って行かれた部分が、手薄になっている事を最近気づいた。しかしながら、長年の習慣というものは恐ろしいもので、それをしないと気が済まないのである。妻は、そんな私の努力に対して、「してもせんでも、全然変わらんよ!」と、棘のあるアドバイスをしてくる。息子がまだ家にいる頃、「洗顔クリーム」とやらを探している場面に遭遇した事がある。「えーっ!最近の青年諸君はクリームをつけて顔をあらうのか?」と驚いた。頭はセットしても、私は未だかつて洗顔クリームなど使ったことが無い。時代は変わったものだ。男が眉を剃って整えたり、化粧をしたりなどと言う事は今でも考えられない。私はまだ若いつもりでいるが、もう立派なおじさんだ。もうこうなったら、徹底的にどこから見ても「非の打ち所の無い中高年」を目指そうじゃないか。そうなれる様に、主に祈りつつ信仰生活を送りたいと思う。(E)

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中高年の嬉し恥ずかしⅠ

2007.10.12(Fri)

『社会生活』 Comment(0)Trackback(0)
 私達の教会では、聖書に「先生と呼ばれてはならない」と書いてあるので、相手が目上の人でも、立場のある人でも、先生と呼びもしないし、呼ばれもしないのが通例だ。しかし、つい最近、こんな私でも何と「先生!」と呼ばれてしまった。先方は何の抵抗もなく、極めて自然に呼んで下さるので誠に恐縮ではあるのだが、意を決して「先生と呼ばないで下さい」とお願いした。しかし、次の日も「先生!」と呼ばれてしまったが、私には再度、注意する気力がなかった。もっとしっかりお願いするべきだったと思った。厄介なのは、先生と呼ばれる事自体は、決して気分の悪いものではないという事だ。「先生」と呼ばれて”こちょばゆい"思いがしている内はまだ良い。しかし、これを放っておくと、知らず知らずのうちに、それが当たり前になり、そう呼ばれないと気分を害するようになって行くのではないかと思うのである。「先生」と呼ばれて良いのは本当の学校の先生とお医者さんだけだと思う。ちなみに「政治家の先生」もいただけないと思う。 私達は、人間が誰でも深い所に持っている罪の本質を見逃さないようにしたいものである。(E)

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中高年の希望Ⅲ

2007.10.10(Wed)

『罪からの解放』 Comment(0)Trackback(0)
 早いもので、携帯を替えてから、もう二ヶ月になろうとしている。やっと扱いに慣れてきた。と言うのは、以前の携帯に入れていたデータを見ようとして手にしたら「さて、どうするとやったかね?」と、スムーズに思い出せなかったのだ。人間の慣れと言うのは、あらためて凄いなと思った。思い起こせば、タバコを止めてもう5年になる。今は、タバコを吸わなければ居たたまれないという、悪しきものの縛りから、神が解放して下さった事を心から感謝している。タバコが無くても全く”ノープロブレム”なのだ。逆に私達は、サタンが仕掛けてくる小さな罠に気をつけねばならない。小さな罪に慣らされて、やがて大きな罪にも全く気づかない状態に陥らないように、小さな不忠実を見逃し続けて大きな不信仰に繋がらないように、主に祈り続けて行こう。主は依り頼む者を見捨てる事は、決してなさらない。(E)

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ブログについての反省

2007.10.05(Fri)

『夫婦の絆』 Comment(0)Trackback(0)
一昨日のブログで、不適切だった点を妻から指摘を受けた。孤児院での誕生日のお祝いの仕方について「孤児院ではどのようにお祝いをしているのだろう?」という文面を書いた。妻は孤児院便りを持って来て、私の目の前に置いた。大きなケーキにロウソクを立て、嬉しそうに微笑む子ども達の写真が載っていた。尊い献金とスタッフの努力で、立派なケーキを囲んでお祝いしているシーンの写真だった。孤児院便りもまともに読んでもいないで、「どのようにお祝いをしているのだろう?」などと、自分だけが孤児院を心配しているような気になっており、お恥ずかしい次第です。妻が指摘してくれていなければ、私は偽善者になっていたかも知れない。これからは、知らず知らずの内に高慢にならないように注意して行きたいと思いました。読者の皆様、孤児院のスタッフの方々、誠に申し訳ございませんでした。(E)

礎の石孤児院ホームページ
    http://www5.ocn.ne.jp/%7Eishizue/

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誕生日過ぎればただの親父

2007.10.04(Thu)

『家族』 Comment(0)Trackback(0)
今日の晩御飯はチャンポンだった。(E)

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53本のろうそく

2007.10.03(Wed)

『ハッピーバースデー』 Comment(0)Trackback(0)
今日、10月3日は私の53回目の誕生日だ。もうこの年になると嬉しくもないが、娘が自分の好みのケーキを、血糖値に気を遣っている私の為に買ってきてくれた。妻も「1年に1回だから、1個ぐらいなら良いんじゃない?」と勧めてくれた。少し食べてみた。久しぶりのケーキは美味かった。ふと、幼少時代を思い出した。昔はケーキと言えば、12月の20日過ぎに食べられるのが普通だった。それも、今のこの時代のような上品な代物ではなかった。カステラみたいな荒いスポンジ状の表面に、カパカパしたチョコレートか白いクリームの膜で塗ってあって、星型に穴のあいたマヨネーズのチューブみたいなので形良く、1個、1個丁寧に円周を飾りつけられたのが定番だった。イチゴでも乗っていようものなら大喜びしたものだ。遠い昔のシーンに浸っていると、遂にあれが始まった。「見たんなかけんすんなよ!」《通訳》:(見っとも無いからやめろ)と言うのに「ハッピバースデイツーユー」が始まった。照れくささに扁桃腺まで赤くなった。教会ではCSの子ども達の誕生日には必ず歌って祝福するようにしているが、自分のとなると居たたまれない。正に嬉し恥ずかしではあるが、私達の群の孤児院での誕生日は、どのようにお祝いしているのだろうかと思うと、感謝しなければならないと思った。何はともあれ、主のために働ける時間がまた1年短くなった事も事実である。もうそろそろ急がないと時間がない。天の父なる神様!
どうかこの者に、御こころを成せる力を与えて下さい。(E)

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夫婦の譲り合い

2007.10.02(Tue)

『祈り』 Comment(0)Trackback(0)
ブログを始めて約一ヶ月余り、毎日更新するのはやはり大変だ。夫婦で交代で書こうと約束はしたが、思うように行かないのが現実だ。今日はさすがに書かなければと夫婦とも思っていたようだ。久しぶりの御霊の一致とでも言おうか、「今日は、何でもいいけん書かんばよ!」と「何か書くこと有るね?」とお互いに牽制球を飛ばし合う。ついに(M)さんは
この私に聞こえる圏内で「天のお父様!どうか、今日こそはブログを更新できますように」と祈り始めた。私はふと思い出した。もう何年前になるだろうか?この群で「み声新聞」が始まろうとしていた頃、全国の教会で祈り始めた課題があった。私達の教会でも牧師に導かれて、祈り始めた。牧師が「み声新聞の社会面の支局記事を、少なくとも週に2本は送れるように祈っていきたいと思いま~す。M姉導いて下さぁ~い。」と言われると,M姉は眉間に深いシワを寄せて「天のお父様!どうか山田兄弟が・・・」と祈り始めたではないか。私は「おいおい!頼んでもおらんとに勝手に人の名前を出すなよ!」と抗議したかったが、男らしく、グッと飲み込んだ。どうして「自分が書けるように」と祈らないのかと、その依頼心の強さに驚きあきれてしまったものだ。ところで、それはそうと実際、支局記事はおろそかになっているのが実情だ。悔い改めなければならない。そして悔い改めの実を結ばねば悔い改めた事にならない。どうか主よ!この者にブログと支局記事を書く力を与えてください。主イエスキリストの御名によって祈ります。アーメン!(E)

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